ゲームの影響について
たまにマスコミが、
「この犯人はマンガやゲームを大量に所持していた!」
とか事件との関連性があることをほのめかしたりすることがありますよね。それについてちょっと。
話したい点は、マスコミがマンガ、ゲーム全般に悪いイメージを繋げようとするところではなく、何かしらの作品が現実に影響を及ぼすかという部分です。
どこか海外での心理学の実験で、子供に暴力的な動画を見せた後適当に遊ばせたら、動画を見せていない群に比べて暴力的な遊びをする子が多かったというものがありました。ソースは忘れましたが、結構有名な実験だそうです。
実験として出なくても、例えばヤクザ物の映画を見終わった後に肩で風斬って歩いちゃう大人なんて見たことありませんか?
あるいは、恋空をみて感動し、セック・・・じゃなくて恋愛したいなぁと言いまくる婦女子を見たことはありませんか?
他に例をあげるなら、ドラゴンボールにはまって筋トレをしまくったり(友人にいました)、デスノートにはまってL座りをしたり(友人にいました)、kanonを見て普段見向きもしないタイヤキを買ってみたり(私です、盗んではいません)、「うぐぅ」とか言っちゃったり。
このように、なにかしらの作品に影響されてなにか行動を起こすというのは十分にありえます。
しかし、社会的に「あ!」と言わせるような問題行動の動機として成り立つかは、ちょっと疑問を抱きますね。
いやまあ、
「人による」
「そういうゲームに影響されて問題行動を起こしたというよりは、そういう行動を起こすやつがゲームをやっていただけだ」
の一言で済ませちゃうのが妥当だと思いますが。
実際のところ、本当に単なる暇つぶしや娯楽目的でゲームをやったところで思想だとかそんなもんに影響なんて受けませんよ。
琥珀色の戯言さんより、ちょっと引用。
今から20年くらい前の話、『テクノポリス』というマイコンゲーム雑誌で、ひとつの論争が行われました。
それは、光栄(現KOEI)の『提督の決断』という太平洋戦争を題材にしたゲームに対する論争だったのですが、そこでは、
あれだけ多くの犠牲者が出た「戦争」を「ゲーム」として愉しむのは不謹慎なのではないのか?
ゲームの中でプレイヤーが「戦争指導者」として、ひとりひとりが「命」を持っているはずの兵士たちを、いかにも「単なる数字」のように扱って、「ああ、300人の犠牲なら上出来だな」みたいに感じるようになるのは「危険」なのではないのか?」
という意見に対して、「その通り!」という人と「ゲームはゲームだ」「考えすぎ」「ゲームがガス抜きになるはず」などの反対派がかなり激しく争っていました。なかには、「戦争ゲームをプレイすることによって、日本の愚かな行為を実感できるのだから、むしろ『提督の決断』は『反戦ゲーム』なのだ!」と言う人まで出てきて、さすがにそれはどうかな、と僕は思ったのですけど。
こんな議論、あったんですね。
私の意見としては、ゲーム上では兵士の数なぞ実際に「単なる数字」であり、それとリアル戦争や思想と結びつくとは到底思えません。
もちろん、そういう見方(このゲームはどういったメッセージを伝えようとしているのであろうなどと考えたりしながら)でプレイしているのであれば話しは変わってくると思いますが。
ちょっと話は変わりますが、clannadは愛を伝えようとする素晴らしい作品です。
多くの人が影響されまくることを密かに期待しています。