ヤンデレは、正義
期待のエロゲ、ヤミツキ!!
コンセプトは「ヤンデレそれは純粋な愛」
このゲームではヤンデレを純愛の形として描きます。
登場するヒロインは全員主人公に好意を持ちますが、ちょっと情が深すぎるため暴走してしまいます。
ヒロインの過剰なアプローチを受けて、追い詰められていく主人公。
それは愛ゆえの行動であり純粋な想いの結実です。つまり、これは純愛なのです。
よくわかっていらっしゃる^^
いやまあ、あるべき本物の愛とは何か?とかそんな話をするわけではないですが。そんなもん定義しだいですもんね。
心理学的に恋愛とは
- 排他性
- 両価性
- 観念性
- 新奇性
を伴う感情のことを指すそうです。
(おしえて!唯子先生 【エッチ】を覚える大人の性教育レッスン!!より)
排他性とは、
「あの女は俺様の物だ!誰にも渡さねえ!」
というもの。
両価性とは
「めちゃくちゃ愛してる!」→喧嘩「お前なんか嫌いだッ!!!!」→仲直り「やっぱお前がいないとだめだ!」
みたいな。
観念性とは、脳内で相手の理想像を作り出し、現実と強引にくっつけちまうこと。あばたもえくぼ。
新奇性とは、愛している人といろいろやりたいなぁうへへと妄想することです。
大体の我々は、例え愛しても相手のことや社会を気遣って行動します。
ですから、たとえ恋人が自分以外の異性と話し、それを不快に思ったところでその行動を諫めたりはしません。
しかしヤンデレは、そんなことしたらぶち切れです。
嫉妬しまくります。
「なんで他の女と楽しそうにお話するのぉ?!?!?
あたしがどれだけ怒ってるか分かってるの?!他の女と話しちゃいやぁ!!!あたしだけと話して!!!あたしだけを見て!!!!あたしだけを愛してぇぇぇ!!!!」
これがヤンデレです。たまりませんね。
もちろんこれは、社会的にはアウトです。
相手にとっても、これほど重くて煩わしい存在は嫌でしょう。自分も病んでない限り。
しかし、「恋愛」という観点でみたら・・・?
こんなに嫉妬しちゃうほど愛しているのです。
こんなに壊れちゃうほど愛しているのです。
「相手が全て」と思えるほど愛しているのです。
まさに恋愛、これぞ恋愛ではありませんか??
そう、(短絡的で利己的な)恋愛感情という観点のみで語ることが許されるのであれば、ヤンデレこそが純粋な愛なのです!
これを読んだ方の多くは
「エロゲーマーごときがエロゲーで恋愛を語るんじゃねぇ。キモイよ」
とお思いでしょう。
しかし我々は、実は様々な形でヤンデレを見てきていると思います。
例えば、各種少女漫画。
あれほど、
「病むほどの恋愛がしたいの!」
という作者の妄想が爆発している作品群は類を見ないと思います。
例えば、各種恋愛を謳った歌。
よく考えると、ヤンデレ賛美歌多すぎじゃないですか?
例えば、日本の古典文学。
古典だから何かものすごいことが書かれているのでは?と思い蓋を開ければ、ヤンデレを扱った作品の多いこと。
とまあ、いろんな形でヤンデレは存在しています。ただ「ヤンデレ」という単語を知らないだけで。
他に、有名な文学作品で言えば・・・。
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」なんてすばらしいと思いますね。
ゲーテは、生涯10回以上のマジ恋愛をしてきた文豪。一回毎の恋愛がどれもメチャクチャ、むしろクチャクチャ重いものだったらしく、失恋するたびに数々の芸術作品を作っていきました。その中で生まれた、「若きウェルテルの悩み。」
これは、ウェルテル君が人妻(になりかけ)のロッテという女性にマジ恋愛をし、その心情をつらつらと語っていく小説です。
ちなみにウェルテル君は、その女性と目が合っただけで
「俺のことを愛しているから目が合った!いや、そうじゃないかも・・・いや、そうに違いない!かも・・」
と考えちゃうくらいの純情ボーイです。自分にもそんな経験があった気がします。
この小説の主人公ウェルテル君は男ヤンデレなのですが、社会的な部分と自分の恋愛感情という欲望の間での葛藤の表現が素晴らしいです。
ちなみに、ヤンデレのウェルテルは病みすぎて自殺しちゃいます。
おそらくゲーテがこの作品を通じて言いたいことは、
「ヤンデレこそが本物の恋愛だ!!!」だと思いますね・・・。
とまあ、反社会的ではあるものの恋愛の理想形として様々な形で見ることが出来る「ヤンデレ」。
みなさんもヤンデレという観点で恋愛を扱った作品を鑑賞することをオススメしますね!