萌えと愛

ロリコンファルさんより。



萌えの美学論 −萌えと懐かしい距離−





とりあえず一言。
恥ずかしいセリフ禁止!!







萌えっていう感情は、「愛ってなに?」っていう感情を説明するくらいなかなか難しいことですよね。。



どっかの偉い人が、

「萌えとは性欲だ!」

とか言ってました。
もちろん使われ方によってはアリなのかもしれません。が、普通オタクが言うときは、萌え=性欲の用法で使うことはあまりないと思います。




また、そのほかの意見として、

「一般人が『愛』というところを、単にヲタクが『萌え』という単語に置き換えているだけだ」

なんつうのもありました。




これも使われ方次第でアリなのかもしれませんが・・・。

しかし、上記リンクより

深い仲の恋人に、「君に萌える」って

云ったら失礼な感じがしますし、逆に、「萌え萌え」な感じのアイドル、ただ実際には全く

面識がないアイドルに対し、「あなたに萌えてます」というのと、「あなたを愛してます」

というのは、どう考えても後者は問題があるような感じがしますし…。

というような差異を、私にも感じられます。





さて、萌えと愛についてですが、。
私はこれを、今のところは、(距離感を含めた)使われ方の意識の違いもあると思います。



つまり、


・「萌え」という単語は二次元の女の子やマスコット的なキャラに、あるいはツンデレだとかドジっ子などの属性に対してだけ使われるべきである。これはオタクという単語とイメージ的に組み合わされて使われるような記号でもある。


・「愛」は、惨事・・・じゃなかった、三次元の女性に対して使われるべきであり、また何か崇高で重大な意味あいを含む単語である。





とか、こういう意識もどこかにじゃないかなと思うんです。

ここでの「愛」は、単に「恋」と置き換えた方がイメージしやすいかもしれませんね。






確かにリンク中の

萌えとは、愛が距離感を詰めていこうとする積極的な試みとして現われることへの

対極、手の届かぬものにそっと憧れているかのような受動的な恋情のように

思えてならない。そしてこの感覚は、とても懐かしいようなもののように感じるのだ。



懐かしさ――郷愁としての萌えの感覚、それは、子供の初恋のような、

自身の無力さと表裏一体になった美しいものへの憧れではないだろうか。

無力なゆえに直接的なコミットメントができないゆえ、

憧れの対象はいつまでも理想として、甘酸っぱい優しさを胸の裡に残し続ける。


のように、ほのかに憧れ続けるという感情も「萌え」だと思います。



しかし、恋をしたように「萌え」まくり、同人誌やら画像掲示板やらを漁ったり妄想しまくって対象に近づ

くというのも「萌え」であるように思います。




こう考えると、情熱的に相手との距離を近づけようと思う感情も「萌え」といえちゃうように思えるのです。同時に愛と言えるように思えます。この両方の単語に、「美」と一体化しようという感情がふくまれるような気がしますが・・・。




こういう場合、萌えと愛との違いって、リアルと虹の差になってしまうとなってしまいます。









しかし、ほぼ間違いなく「愛」と「萌え」の使い分けがはっきりしている部分もあります。
それは、なにかを単に愛でたいなぁというような「萌え」という感情です。



例えばこういう



なんというか、性欲とかなく、単に愛でたいなぁと思うようなところに、1つの「萌え」という言葉の使われ方が現れているような気がします。



別に、「愛」という単語が性欲まみれと言うわけではないんですが、しかしこの画像の子に
「愛してる」
なんて言葉は使われないですよね。









うーん、こう考えると・・・。
萌えという感情は、距離が遠い場合に現れるって感じになるのですかね?



こんな文を書くのに2時間もかかってしまいました。なかなか難しいです。